時は1858年、日米修好通商条約が結ばれ、神奈川・新潟・長崎とともに兵庫開港が約束されました。
江戸時代の兵庫は現在のJR兵庫駅の南方一帯に広がる人口約2万の都市で、瀬戸内海航路の港として繁栄していましたが
幕府は兵庫に外国人が来住すると紛争になると懸念し、外国人居留地を設けました。そこには多くのヨーロッパ系移民が
暮らし、欧風用家具を持ち込みました。
そうした背景のもと、明治初頭、四国塩飽島から神戸に来た船大工の真木徳介は現在の神戸市中央区加納町辺りに製作所を
開き、木造船製作の技術を生かし、外国人が持ち込んだ洋家具や装飾品を見様見真似で作り、注文に応じたのが神戸洋家具
の始まりと言われています。そして、外国人が使用していた一般道具類を扱う古物商が、洋家具の修理・売買の受注から
更には製造まで請け負うようになった歴史から、神戸は「洋家具発祥之地」と言われ、現在の洋家具の礎を築きました。